POLICY COLUMN ・ PENSION FUND GOVERNANCE
世界の年金は資産配分の「固定枠」を捨て始めたのか — カルパースの転換と、GPIFが動けない理由
編集部・最終更新 2026年8月7日
米カルパース(カリフォルニア州職員退職年金基金)は2025年11月、資産クラスごとの固定配分目標を廃止し、「トータル・ポートフォリオ・アプローチ(TPA)」という手法へ転換しました。この手法はカナダの年金基金が広めたとされ、シンガポールやニュージーランドの政府系ファンドにも及んだと語られます。一方、日本のGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は同じ動きを見せていません。一次資料に当たって見えてきたのは、GPIFが動かないのは消極的だからではなく、基本ポートフォリオの変更に法律上最低5層の合議・協議・承認を要する制度設計そのものが理由という実像でした。
本記事は、CalPERS(カルパース)・CPP Investments・GIC・NZ Super Fund・韓国国民年金公団(NPS)の公式資料、e-Gov法令検索、GPIF公式資料などを基に、当サイト編集部が整理したものです。日付・数値は2026年8月7日時点。
5層
GPIFの基本ポートフォリオ変更に必要な、最低限の合意形成の層数(3省協議〜社会保障審議会諮問)
1層
カルパースの参照ポートフォリオ変更は、投資委員会の議決一本で完結
8か月
理事会採決(2025年11月17日)から新方式発効(2026年7月1日)までの期間
01 · WHAT IS TPA
まず整理 — TPAとは何か
「トータル・ポートフォリオ・アプローチ(Total Portfolio Approach、TPA)」は、資産クラスごとに固定の配分比率(戦略的資産配分、SAA)を決め、市場変動で乖離すればリバランスするという、過去30年主流だった枠組みに代わる考え方です。英WTW(ウイリス・タワーズワトソン)傘下のシンクタンクThinking Ahead Instituteは、SAAの構造的な限界を「ベンチマークが本来の目的(負債充足・購買力維持・世代間公平)から乖離し、ベンチマーク設計とポートフォリオ構築の意思決定が分断されること」と説明し、TPAを「リスク・資産・流動性ニーズ・制度上の制約を横断して統合的・動的な資金配分決定を行うガバナンス主導型モデル」と定義しています。CFA Institute Research Foundationも2026年にTPAの実務ガイドと文献レビューを公表しており、この数年で機関投資家業界に急速に定着した概念であることがうかがえます。
TPAの起源としてしばしば語られるのが、カナダ年金制度投資委員会(CPP Investments、旧CPPIB)です。CPP Investments自身、公式サイトで「意思決定プロセスをTotal Portfolio Approachと呼んでいる」と明記し、市場リスクの物差しとして「グローバル株式とカナダ国債を組み合わせた参照ポートフォリオ的な仕組み」を説明しています。ただし「2006年に導入した」という起点年については、業界メディアの報道で言及されているのみで、CPP Investments自身の年次報告書等の一次資料では確認できませんでした(複数の方法でアクセスを試みましたが取得をブロックされました)。別の業界報道は、この枠組みが2016年に現行の形へ「制度化」されたとも伝えています。
日経記事は、TPAへの関心が高まった背景として「株式と債券の相関」の変化を挙げています。過去の金融危機時(ITバブル崩壊・世界金融危機)には、株式・債券の相関がおおむね0.4程度まで上昇した局面があったとされます(米外交問題評議会CFRの分析)。ただし「現在の相関が0.4程度」という具体的な水準を直接裏付ける一次資料は、今回の調査では特定できませんでした。少なくとも、株式と債券が「逆方向に動く」という前提そのものへの疑義が近年強まっていることは、複数の分析で一致しています。
02 · THE CALPERS SHIFT
カルパースの転換の実像
カルパースの理事会は、2025年11月17日、新しい投資ガバナンスモデルとしてTPAの採用を可決しました。総資産は2026年6月30日時点で637.1億ドル(月次データでは635.4億ドル)——日経が伝える「約100兆円」とおおむね符合する規模です。
それまでのカルパースは、資産クラスごとに11本の個別ベンチマークを設定するSAA方式でした。監査済みの公式資料(Annual Comprehensive Financial Report)によれば、2024年7月時点の中間目標配分は上場株式40.4%・債券29.1%・プライベートエクイティ15.0%・実物資産15.0%・プライベートデット3.5%、2026年6月時点の実際の配分は上場株式38.1%・債券28.0%・プライベートエクイティ20.5%・実物資産12.6%・プライベートデット4.3%でした。日経が言う「上場株式4割・債券3割」は、この時点の数字とおおむね一致します。
新方式では、この11本のベンチマークを単一の「参照ポートフォリオ」(グローバル株式75%・米国債25%)に一本化しました。理事会の議案書は70/30・75/25・80/20の3案を比較検討し、期待リターン(中央値)6.8%〜7.0%、ボラティリティ12.0%〜13.5%、95%テールリスクのシナリオでは最大▲25.8%という試算を示した上で75/25を採択しています。個別資産クラスの上限を撤廃する代わりに、参照ポートフォリオからの乖離幅を「アクティブリスク上限400ベーシスポイント」というリスク予算で管理する仕組みに置き換えたのが要点です。日経が伝える「リスク資産の比率を9割まで高めることも可能」という具体的な水準は、この議案書には見当たりませんでした——検討された最もリスクの高い候補案でも株式80%(80/20)が上限です。
検討された最もリスクの高い候補案でも、株式80%(80/20)が上限だった。
カルパース理事会議案書(2025年11月17日)より
割引率(長期期待運用利回りの前提)は6.8%で据え置かれ、新体制は2026年7月1日から発効しています。なお直近10年(2026年6月末まで)の年率収益率は速報値で8.57%——日経が言う「8%超」と符合しますが、監査済みの前年基準(2024年6月末)では10年年率は6.2%でした。直近2年度の好成績(2024-25年度11.6%、2025-26年度速報14.8%)がローリング10年平均を大きく押し上げた形で、長期実績の数字は算定時点の直近1〜2年に敏感に動く点に留意が必要です。
03 · THE GILMORE CONNECTION
ギルモアCIOという結節点
この転換を主導したのが、2024年4月2日に選任が発表され、同年7月に就任した最高投資責任者(CIO)、スティーブン・ギルモア氏です。カルパース公式の発表文は、同氏を「トップクラスの運用成績を残したニュージーランドの政府系ファンドから招いた」人物と紹介しています。ギルモア氏はNZスーパーファンドのCIOを2019年から5年以上務め、同ファンドはこの間、資産規模をNZドル750億ドルまで拡大、過去10年で年率12%超の運用実績を残したとされます(カルパース公式バイオページの記述)。
ギルモア氏がTPAをカルパースに持ち込んだ経緯は、一次資料で明確にたどれます。就任からわずか半年後の2025年1月、同氏自身が講師となって理事会向けの教育セッションを開き、「TPAという概念」を紹介しています。同年11月17日の採択議案書には、最高財務責任者・首席年金数理人と並んでギルモア氏自身が「Chief Investment Officer」として署名しました。そして2026年7月13日の速報値発表でカルパースが公式に引用したギルモア氏のコメントは、こう述べています。
「私たちのトータル・ポートフォリオ・アプローチは、個々の資産クラスではなく、ポートフォリオ全体としての最良の投資に、より重点を置くことを意味します」
スティーブン・ギルモア(カルパースCIO)、カルパース公式発表(2026年7月13日)より。発表文はこれに続けて「同氏は以前、ニュージーランド・スーパーアニュエーション・ファンドで同様の手法を統括していた」と明記している。
FIG. 01 — TPA伝播の年表
図: TPA(トータル・ポートフォリオ・アプローチ)伝播の年表。CPP Investmentsの起点年(2006年)は業界メディア2本の報道に基づき、CPP Investments自身の一次資料では確認できていない(確度中)。他の3件は各ファンド公式資料またはカルパース公式発表で確認済み(確度高)。出典は本文および一次情報リンク集を参照。
04 · HOW FAR DID IT SPREAD
「世界に広がった」の中身 — GICとNZスーパーファンドの実態
日経記事はTPAが「シンガポール政府系ファンドGICやニュージーランド政府系ファンド『スーパーファンド』にも広がった」と述べています。一次資料に当たると、この2つのファンドの実態にはかなり温度差があることが分かります。
NZスーパーファンドは、公式サイトで「参照ポートフォリオ(Reference Portfolio)を2010年に導入した」と明記しています。現在の内訳はグローバル株式75%・NZ株式5%・グローバル債券20%(成長資産:債券=80:20)で、為替リスクは100%NZドルヘッジです。同ファンドの資産配分責任者(Head of Asset Allocation)チャールズ・ハイド氏は2025年10月、業界団体CAIAへの寄稿で「15年前、私たちは自分たちのポートフォリオの組み方を再考する取り組みを始めた。その旅の始まりが、参照ポートフォリオの採用だった」と振り返っています。当事者本人が2010年を「TPAへの旅の起点」と位置づけている以上、この事例は裏付けが強いと言えます。
GICについては、様子がやや複雑です。GIC公式の最新年次報告書(2025/26年版)を直接確認したところ、本文中に「Total Portfolio Approach」という語は登場しません。ただしGIC自身のオウンドメディア(ThinkSpace)には同じ語を冠した解説記事があり、自己認識としてこの呼称自体を完全に避けているわけでもなさそうです。より確実な事実は、GICが2012年のレビューを経て2013年に導入した「参照ポートフォリオ(グローバル株式65%・グローバル債券35%)+政策ポートフォリオ+アクティブポートフォリオ」という3層構造が、2026年4月1日からすでに次の体制(株式・債券・実物資産の3バケットに再編する「戦略的ポートフォリオ」)へ移行を始めていることです。日経記事が伝える「TPAはGICにも広がった」という表現は、13年間運用してきた枠組みが、まさにこの記事が書かれた4か月前に更新期を迎えていたという、旬をやや過ぎたタイミングの話だった可能性があります。
05 · THE COUNTEREXAMPLE
対照例 — 韓国NPSは「固定枠のまま」だから直面した問題
日経記事は、韓国の国民年金公団(NPS)が2026年5月28日、2026・2027年の国内株式目標比率を14.9%から20.8%へ引き上げたと伝え、「株高が続いた韓国株の比率をリバランスで引き下げることを意図的に回避したとの見方が広がる」としています。
一次資料で確認すると、この解釈自体は韓国政府の公式発表(korea.kr)ではなく、韓国の経済メディアによる分析です。政府の公式説明は、商法改正を受けた構造変化を理由に挙げるにとどまっています。ただし、その必要に迫られた背景を示す数字は具体的です。韓国メディアの報道によれば、2026年2月末時点でNPSの国内株式評価額はコスピの上昇を受けて395.1兆ウォンに達し、旧目標14.9%が示す実質的な保有上限(374.4兆ウォン)を約20兆ウォン上回っていました。前日ザラ場高値ベースでは目標保有可能額を160兆ウォン超上回るとの試算も報じられ、韓国メディアの見出しは「170兆ウォンの売り爆弾」という表現まで使っています。
ここで見落とせないのは、NPS自体はTPAを採用していないという事実です。韓国保健福祉部の公式説明によれば、NPSは「5年単位の中期資産配分(SAA)を毎年見直し、その許容範囲内で短期的な戦術的資産配分(TAA)を実施する」という、伝統的なSAA+TAA型の枠組みを維持しています。つまりNPSが選んだのは、TPAへの転換ではなく、固定目標そのものを引き上げるという伝統的な対応でした。逆に言えば、この一件はTPAが解決しようとしている問題——固定配分が株高局面で強制的な売り圧力を生む——を、そのまま実例として示しています。なお、NPSの基金運用委員会は保健福祉部長官(大臣)自身が議長を務める仕組みで、この点はGPIFより政府との距離が法形式上近く見えますが、実際にはNPSの方がGPIFより大きな配分変更を機動的に決定できているという逆説も、後の章で改めて触れます。
固定配分が株高局面で強制的な売り圧力を生む。
対照例・韓国NPSが示した問題(第6章)
06 · FIVE LAYERS OF CONSENT
なぜGPIFは同じ手法を取れないのか — 5層の合意形成
日経記事は、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)について「静観している」「独自の見通しに基づいて配分変更する手法として大きすぎるとの見方が多い」と伝えています。GPIF自身が「静観」という言葉を使った一次資料は見当たらず、この評価自体は取材側の分析とみられますが、GPIFが実際にTPAのような手法へ言及した形跡は、ワーキングペーパー26本・委託調査研究15件、理事長・CIOの公開発言のいずれからも見つかりませんでした。
その理由は、意欲やスキルの話である以上に、法律が定める手続きの重さにあります。GPIFの基本ポートフォリオ(政策アセットミックス)は、GPIF法単体ではなく、厚生年金保険法との2階建てで規定されています。条文をたどると、変更には最低5つの段階を要します。
GPIF 基本ポートフォリオの変更 — 最低5層
- 厚労大臣が財務・総務・文科大臣と協議し「積立金基本指針」を策定厚生年金保険法 第79条の4
- GPIF含む4管理運用主体(GPIF・国家公務員共済組合連合会・地方公務員共済組合連合会・日本私立学校振興共済事業団)が共同でモデルポートフォリオを策定同法 第79条の5
- GPIF経営委員会が自法人の基本ポートフォリオを議決GPIF法 第5条の3
- 中期計画の一部として法定GPIF法 第20条
- 厚労大臣が社会保障審議会へ諮問した上で認可GPIF法 第29条・厚生年金保険法 第79条の6第4項
カルパース 参照ポートフォリオの変更 — 1層
1
投資委員会(Investment Committee)の議決のみ州法上の独立受託者機関。外部の政府機関による承認・省庁間協議は制度上不要
対照的にカルパースの場合、この転換は投資委員会の議決一本で完結しています。カルパース公式のプレスリリースは「理事会の監督権限そのものに変更はない」と明記しており、外部の政府機関の承認や省庁間協議は制度上必要ありません。GPIFが政府から独立した年金基金でありながら、政府本体よりも複雑な合議構造を持つのは逆説的に見えますが、これはGPIFが約320兆円という公的年金の原資を扱う以上、単独の投資判断が及ぼす影響の大きさに見合った歯止めとして設計されている、とも読めます。
なお2026年度第1四半期(2026年4〜6月、2026年8月7日公表)のGPIF運用資産額は317兆7,596億円(期間収益+24兆895億円、収益率+8.20%)で、国内債券比率は25.59%と基本ポートフォリオ目標(25%)からほとんど動いていません——日経が伝える「国内債比率は変わらず」という記述と整合します。GPIFの公式資料が示す「運用資産額」がこの水準を超えたのはこの四半期が初めてです。
07 · THE 2014 PRECEDENT
GPIFの前例 — 2014年10月改定が示す「随時見直し」の実際の重さ
GPIFにも、期中に基本ポートフォリオを見直した前例が一度だけあります。2014年10月31日の大幅改定です。国内債券60%→35%、国内株式12%→25%、外国債券11%→15%、外国株式12%→25%——実質的な運用利回り1.7%の確保を目標に、それまで国内債券中心だった配分を大きく組み替えました。現行(第5期、2025年度〜2029年度)の基本ポートフォリオは国内債券・外国債券・国内株式・外国株式それぞれ25%、乖離許容幅は各資産±5〜6%・債券全体/株式全体それぞれ±9%です。
この改定は、2013年の成長戦略「日本再興戦略」を受けて設置された有識者会議(座長:伊藤隆敏・東京大学大学院教授)が2013年11月に最終報告書を公表したことに始まります。2014年6月、5年に1度の財政検証の結果公表と合わせて、厚労大臣から見直しの前倒し実施が要請され、当時の運用委員会(現在の経営委員会の前身にあたる助言機関)が検討を進め、同年10月31日に正式決定に至りました。要請から決定まで約4か月です。
GPIFの基本ポートフォリオが期の切り替わり以外のタイミングで変更された事例は、四半世紀近い運用の歴史でこの1回のみです。しかもこの「随時見直し」自体、5年に1度の財政検証という定期イベントに紐づいた前倒し実施であって、カルパースのようにスタッフが市場機会に応じて日常的に配分を動かせる仕組みとは、性格がまったく異なります。
08 · POLITICAL PRESSURE
政治介入という論点
GPIFのガバナンス構造自体も、2017年10月(平成29年10月)に大きく変わっています。それまでの理事長中心の独任制(運用委員会は助言機関にとどまる)から、経営委員会が議決機関となる合議制へ移行しました。目的は、意思決定・監督と執行の分離、責任と権限の明確化です。
この「合議による歯止め」が実際に機能している場面が、本記事執筆のわずか1か月弱前にありました。2026年7月10日、片山財務相が閣議後会見で、GPIFなど年金基金による日本の金融資産への投資を後押しする方策を追求する考えを示したところ、即座に日経平均が前日比2%超上昇、円が一時161円29銭まで上昇するなど株高・円高・債券高の「トリプル高」が発生しました。市場では「口先介入」との観測も出ましたが、同時に複数の市場関係者から「GPIFの基本ポートフォリオを変えるのは相当ハードルが高い」との指摘も出ています。同月27日には、GPIFの内田和人理事長が「運用は加入者利益のみを追求する」と述べ、政治的な意図との距離を明確にしました。
「運用は加入者利益のみを追求する」
GPIF理事長 内田和人氏(2026年7月27日)
2014年の改定が当時の安倍政権の成長戦略と時期が重なり「官製相場」との指摘を招いたことも踏まえると、GPIFの重い手続きは、単なる非効率ではなく、機動的な配分変更を狙う政治的圧力に対する防波堤としても機能していると見ることができます。
09 · THE PATTERN
当サイトの整理
ここまでを整理すると、TPAをめぐる「世界の年金は柔軟化している」という物語は、部分的には正確で、部分的には単純化されすぎています。
カルパースの転換は実在し、しかも一次資料で細部まで裏付けが取れます——決定日、発効日、参照ポートフォリオの具体的な数字、CIOの経歴と発言まで。一方で「GICにも広がった」という表現は、当事者の自己認識よりも先に、報道側の分類が独り歩きしている面があります。そして韓国NPSの事例は、TPAへの伝播どころか、むしろTPAを採用していないファンドが固定配分ゆえに直面する現実の問題を映し出しています。
GPIFについても、「静観=消極性」という図式は一次資料からは裏付けられません。基本ポートフォリオの変更に最低5層の合議・協議・承認を要する法的設計そのものが、カルパースのような単独機関の議決とは根本的に異なる仕組みを作っています。この重さは意思決定の遅さという代償を伴う一方、2026年7月の実例が示すように、政治的な圧力からの一定の距離を保つ仕組みとしても働いています。「機動的か、鈍重か」ではなく「誰が、どれだけの手続きを経て資産配分という国民共有の意思決定に関与するのが適切か」という設計思想の違いとして見るのが、実態に近いと言えそうです。
「機動的か、鈍重か」ではなく、「誰が、どれだけの手続きを経て資産配分に関与するのが適切か」という設計思想の違いだった。
本記事の結論
10 · WHAT IT MEANS FOR INVESTORS
投資家への含意
GPIFやカルパースの話は、個人投資家に直接的な売買のヒントを与えるものではありません。ただし、間接的に参考になる論点が2つあります。
一つは、個人投資家がよく使う「60対40」やコア・サテライト戦略のような固定配分ルールも、世界最大級の年金基金でさえ今、その前提を問い直し始めているという事実です(コア・サテライト戦略の検証は投資の考え方 第1号を参照)。ただしTPAは、専任のCIOと大規模なリスク管理体制、そして「参照ポートフォリオからの乖離をリスク予算で管理する」という高度な運用インフラを前提にした手法であり、個人投資家がそのまま真似られるものではありません。
もう一つは、「なぜこの配分ルールを採用しているのか」を理解しないまま固定配分を守ること自体にもリスクがあるという教訓です。韓国NPSの事例が示すように、市場が大きく動いた局面で固定目標に固執すると、意図しない強制売買を迫られることがあります。個人の資産配分でも、リバランスのルールを機械的に守るだけでなく、「なぜその比率なのか」を時々見直す価値はありそうです。本記事は特定の資産配分・金融商品の売買を推奨・勧誘するものではありません。
SOURCES
一次情報リンク集
- CalPERS Board Adopts Streamlined Investment Approach(CalPERS公式、2025年11月17日) — TPA採択の一次発表
- Investment Committee Agenda Item 5a(CalPERS、2025年11月17日) — 参照ポートフォリオの候補案比較・リスク試算
- CalPERS Posts Preliminary Investment Return for FY2025-26(CalPERS公式、2026年7月13日) — 総資産・年率収益率・ギルモアCIOのコメント
- CalPERS Annual Comprehensive Financial Report FY2024 — 旧・政策配分の監査済み数値
- CalPERS Selects Stephen Gilmore as Chief Investment Officer(CalPERS公式、2024年4月2日)
- Thinking Ahead Institute, "Total Portfolio Approach (TPA) hub"
- CFA Institute Research Foundation, "Total Portfolio Approach (TPA): A Practical Guide"(2026年)
- GIC ThinkSpace, "GIC's Total Portfolio Approach"
- NZ Super Fund, "Reference Portfolio"(公式解説ページ)
- Charles Hyde(NZスーパーファンド), CAIA寄稿(2025年10月)
- 대한민국 정책브리핑(韓国政府公式), NPS国内株式目標引き上げ発表(2026年5月28日)
- e-Gov法令検索, 年金積立金管理運用独立行政法人法(平成16年法律第105号)
- e-Gov法令検索, 厚生年金保険法(昭和29年法律第115号)
- GPIF, 基本ポートフォリオの考え方
- GPIF, 2026年度第1四半期運用状況(2026年8月7日公表)
⚠ 留意点
- CPP Investmentsの「2006年」起点説は業界メディア2本の報道に基づき、CPP Investments自身の年次報告書等の一次資料では確認できませんでした(複数の方法でアクセスを試みましたが取得をブロックされました)。
- 日経記事が言う「株式・債券の200日相関が現在0.4程度」という具体的な水準は、一次資料を特定できませんでした。近い文脈として、過去の金融危機時の株式・債券相関がおおむね0.4程度まで上昇したとの分析(米外交問題評議会CFR)はあります。
- カルパースの直近10年年率収益率8.57%は速報値(preliminary)です。監査済みの前年基準(2024年6月末)では10年年率6.2%で、直近2年度の好成績によって大きく押し上げられています。
- GPIFの資産規模「300兆円」は時点・定義によって数字が変わります。2025年度末の公式「運用資産額」は293.6兆円、2026年6月末は317兆7,596億円。本記事はGPIF公式資料で直接確認できた2026年6月末時点の数字を主に採用しています。
- 「GPIFは静観している」「機動的な変更には規模が大きすぎる」という評価は、GPIF自身の公式見解としては確認できておらず、報道側の分析・市場関係者のコメントに基づくものです。
- 日付・数値は2026年8月7日時点の公開資料に基づきます。TPAの制度設計・GPIFの基本ポートフォリオはいずれも今後変更される可能性があります。
- 本記事は特定の資産配分・金融商品の売買を推奨・勧誘するものではありません。
FAQ
TPA(Total Portfolio Approach)とは何ですか。従来の資産配分(SAA)と何が違うのですか。
SAA(戦略的資産配分)は資産クラスごとに固定の比率を決め、市場変動で乖離すればリバランスするという、過去30年主流だった枠組みです。TPAはこれに代わり、資産クラス別の固定目標を廃止し、単一の「参照ポートフォリオ」を基準にリスク予算(アクティブリスク上限)の範囲で機動的に資金配分を判断する、ガバナンス主導型のモデルです。英シンクタンクThinking Ahead Instituteは、SAAの限界を「ベンチマーク設計とポートフォリオ構築の意思決定が分断されること」と説明しています。
カルパースは本当にTPAを導入したのですか。いつ、何がどう変わったのですか。
導入は事実で、一次資料で細部まで確認できます。理事会が採決したのは2025年11月17日、発効は2026年7月1日です。それまでの11本の資産クラス別ベンチマークを、グローバル株式75%・米国債25%の単一の参照ポートフォリオに一本化し、そこからの乖離をアクティブリスク上限400ベーシスポイントというリスク予算で管理する仕組みに置き換えました。この転換は、2024年にNZスーパーファンドから移籍したスティーブン・ギルモアCIOが主導したことも、一次資料(理事会向け教育セッション資料・採択議案書への署名・カルパース公式発表での直接引用)で確認できます。
「TPAは世界に広がっている」というのは本当ですか。
濃淡があります。NZスーパーファンドは公式に「2010年に参照ポートフォリオを導入した」と明記しており、担当者自身が2025年に「TPAへの旅」と振り返るなど裏付けが強い事例です。一方GICは、2013年から類似の枠組み(参照ポートフォリオ+政策ポートフォリオ+アクティブポートフォリオ)を運用してきたものの、公式の年次報告書に「TPA」という語自体は登場せず、しかもこの体制自体が2026年4月からすでに次の枠組みへ移行を始めています。「世界に広がった」という表現は、少なくともGICに関しては、報道側の分類が先行している面があります。
なぜGPIFは同じ手法を採用できないのですか。投資家はこの違いをどう読めばいいですか。
消極性の問題ではなく、法律が定める手続きの重さが理由です。GPIFの基本ポートフォリオ変更には、厚労大臣による3省協議・4管理運用主体による共同のモデルポートフォリオ策定・GPIF経営委員会の議決・中期計画への算入・社会保障審議会への諮問という、最低5層の合意形成が必要です。カルパースが投資委員会の議決一本で完結するのとは、制度設計そのものが異なります。この重さは意思決定の遅さという代償を伴いますが、2026年7月に実際に起きた政治的圧力の場面が示すように、機動的な配分変更を狙う政治介入への防波堤としても機能しています。本記事は特定の資産配分・金融商品の売買を推奨・勧誘するものではありません。
本記事はCalPERS・CPP Investments・GIC・NZ Super Fund・韓国国民年金公団・GPIF等が公開する一次資料、およびe-Gov法令検索を基に当サイトが整理した一般的な情報提供を目的としており、特定の政治的立場を主張するものでも、金融商品・資産配分の購入・売却を推奨・勧誘するものでもありません。検証結果は公開時点の資料に基づくものであり、記載内容は作成時点のものです。最終的な投資判断はご自身の責任で行ってください。
出典:CalPERS、CPP Investments、GIC、NZ Super Fund、Thinking Ahead Institute、CFA Institute Research Foundation、韓国政府(korea.kr)、e-Gov法令検索、GPIF(2026年8月7日時点)。