INVESTMENT STRATEGY ・ 投資の考え方 第22号
口紅効果は半世紀前に終わっていた。化粧品株はこの10年、TOPIXに0勝13敗
編集部・最終更新 2026年7月31日
インフレが続く米国で、生活必需品を切り詰めながら美容には財布のひもが緩む——「プチぜいたく」の相場解説が再び流れています。根拠としてよく引かれるのが「口紅効果(リップスティック・エフェクト)」。不況になると高価な買い物の代わりに口紅のような小さな贅沢が売れる、古くは1929年の大恐慌でも化粧品は伸びた、という通説です。
この通説を、言葉の出どころ(2001年のレナード・ローダー発言)まで一次資料で遡ったうえで、米国の公式統計(BEAのPCE品目別系列・1929年〜)と、機械的に選んだ日米の化粧品株32銘柄で答え合わせしました(2026年7月31日時点・編集部構成)。
「不況でも化粧品」が公式統計で確認できたのは1969〜70年が最後。戦後9回の米景気後退で化粧品の実質消費が総消費より持ちこたえたのは2回だけで、言葉が生まれた2001年の景気後退ですら負けていた。1929年の伝説も公式系列では名目▲45.1%と正反対。株側も、S&P500の15%超下落7回で化粧品株が市場より浅かったのは1回だけ、10年ではTOPIXに0勝13敗。家元エスティローダーは最大▲85.8%で上場来の年率がS&P500割れ。ただし直近12カ月の化粧品消費は+4.4%と総消費(+2.5%)より強く、「いま美容が強い」自体は事実——効いていないのは「不況の物差し」としての使い方だった。
10年でTOPIX超え
0/13
日本の化粧品株(4911-4930帯)。米国はS&P500超え1/7
下げ相場で市場より浅かった回数
1/7
米国・1998年以降。生活必需品ETF(XLP)は6/7
エスティローダー
▲75.5%
2022年最高値比(最大▲85.8%)。口紅指数の家元
景気後退で総消費超え
2/9
化粧品の実質消費(1959年〜)。最後は1969〜70年
01 · THE ORIGIN STORY
「口紅効果」の出どころ — 2001年の発言と1929年の伝説
「口紅指数(lipstick index)」は、2001年の米景気後退のさなかに、エスティローダー会長(当時)のレナード・ローダーが自社の口紅売上の伸びから作った言葉です。初期の代表的な報道は2001年11月26日のウォール・ストリート・ジャーナル記事(Emily Nelson記者)で、直後にニューヨーク・タイムズのコラムなどで一気に広がりました。
数字の出どころには最初から注意が要ります。よく引かれる「2001年秋に米国の口紅売上が11%増えた」は、The Economistの検証記事(2009年1月22日 "Lip reading")が伝えるものですが、原点はエスティローダー側の主張で、独立に検証された統計ではありません。「1929年からの大恐慌でも化粧品売上は25%伸びた」という伝説も、同じ記事が「信奉者はそう遡る」という書き方で出典を付けずに記しているのが代表的な出どころです。しかも同記事は、市場調査会社Kline & Companyのデータでは「口紅売上は好況でも伸びることがあり、景気との明確な相関はない」ことを併記しており、米公共ラジオNPRも2009年に「データが薄い(spotty data)」と指摘しています。誕生から10年もたたないうちに、統計の裏付けは業界内でも疑われていたわけです。
学術の世界では、心理学に実験的な支持があります。Hill らの2012年の論文(Journal of Personality and Social Psychology)は「口紅効果の最初の実験的実証」として、不況の手がかりを与えられた女性が「魅力を高める製品」への欲求を一貫して高めることをプライミング実験で示しました。Netchaeva & Rees(2016年、Psychological Science)は、その動機が配偶者獲得だけでなく職場での印象管理(経済的自立)でも駆動されることを示しています。ただしどちらも「欲求」を測った実験であって、売上や株価の統計的検証ではありません。
家元のその後も記録しておきます。エスティローダー自身が2020年8月、「口紅指数は終わり、いまは保湿指数」(当時CEOファブリツィオ・フレダの決算説明・Bloomberg報道)と事実上のお蔵入りを宣言。ローダーは2025年6月14日に92歳で死去しました(最終肩書は名誉会長)。会社の公式追悼リリースは、彼の代名詞だったはずの口紅指数に一言も触れていません。
会社の公式追悼リリースは、彼の代名詞だったはずの口紅指数に一言も触れていません。
02 · THE CONSUMPTION RECORD
消費の答え合わせ — 公式統計で「不況でも化粧品」は本当か
まず1929年の伝説から。実は1929〜33年の口紅単品の政府統計は存在しません。公式統計で測れる最小単位は、米商務省経済分析局(BEA)の個人消費支出(PCE)年次系列にある「パーソナルケア製品」で、これは1929年まで遡れます。結果は——1929年6.28億ドル → 1933年3.45億ドルで名目▲45.1%、物価下落を除いた実質(数量指数)でも▲40.3%。同じ期間の総消費(名目▲40.6%)より深く落ち、総消費に占めるシェアも0.81%から0.75%へ下がっています。「大恐慌で化粧品が25%伸びた」は、現行の公式系列では正反対です。
戦後はもっと精密に測れます。BEAの品目別詳細系列「化粧品・香水・バス・ネイル用品」(月次・1959年〜)を、NBER(全米経済研究所)が公式に定める景気後退の山→谷に当てはめました。
| 景気後退(山→谷) | 化粧品 (実質) | 総消費 (実質) | 化粧品の底 |
| 1960-04 → 1961-02 | +7.8% | ▲1.9% | ▲2.2% |
| 1969-12 → 1970-11 | +3.2% | +1.2% | +0.0% |
| 1973-11 → 1975-03 | ▲2.8% | ▲0.9% | ▲5.1% |
| 1980-01 → 1980-07 | ▲2.1% | ▲2.1% | ▲2.1% |
| 1981-07 → 1982-11 | ▲4.0% | +3.1% | ▲5.2% |
| 1990-07 → 1991-03 | ▲2.3% | ▲0.2% | ▲4.6% |
| 2001-03 → 2001-11(命名の年) | +1.7% | +2.1% | ▲1.0% |
| 2007-12 → 2009-06(金融危機) | ▲7.8% | ▲2.2% | ▲8.4% |
| 2020-02 → 2020-04(コロナ) | ▲19.5% | ▲16.8% | ▲19.5% |
※当サイト実測。BEAの品目別詳細系列(Underlying Detail Table 2.4.5U/2.4.3Uの「Cosmetic/perfumes/bath/nail preparations and implements」)。実質は連鎖型数量指数、月次・季節調整済み。窓はNBERの山の月→谷の月、「底」は区間中の最低水準(山の月比)。緑は化粧品がプラスの回、赤は化粧品が総消費を下回った回。
化粧品の実質消費が総消費より持ちこたえたのは9回中2回——1960〜61年と1969〜70年だけで、どちらも半世紀以上前です。1973年以降の7回は7連敗。しかも皮肉なことに、言葉が生まれた2001年の景気後退ですら化粧品+1.7%対総消費+2.1%で負けています。エスティローダーの口紅が本当に11%伸びていたのだとしても、化粧品カテゴリー全体は総消費の伸びに届いていませんでした。金融危機では▲7.8%対▲2.2%と3倍以上深く沈んでいます。
言葉が生まれた2001年の景気後退ですら、化粧品+1.7%対総消費+2.1%で負けている。
業界データも同じ方向を向いています。2008年の米国の口紅売上は前年比5.8%減(代わりにリキッドファンデーションが+2.5%)と当時報じられました。2020年はマスクで崩落し、NPD(現Circana)の集計で米プレステージ美容は▲19%・メイクアップは▲34%・「リップが最も急落」。英国ではロックダウン中のリップメイクが▲50%です。日本も経済産業省の解説が「2020年の化粧品出荷額は2014年と同水準まで低下。口紅やアイメークアップなどメイク用を中心に減少」と明記しています——米英ではアイメイクがシェアを伸ばしましたが、日本は目元まで減った。「口紅の代わりにアイメイクが売れる」も、日本の出荷統計では成立しませんでした。
では2022年からの「口紅効果の再来」報道は何だったのか。NPDは2022年の米プレステージ美容が+15%で、「4兆ドル超の米一般消費財のうち数量ベースでプラスだった唯一の業界」と発表しました——ここだけ見れば再来です。ところが同じ2022年、NielsenIQは低所得層が美容支出を金額で3%・数量で11%削り、口紅は減少、伸びたのは高級品と香水(+16%)だと報告し、「口紅指数はもはや当てはまらない可能性がある」と明言しています。つまり伸びたのは「安い口紅」ではなく高価格帯の美容。「ささやかな贅沢」という看板と中身が入れ替わっているのです。
そして現在。直近12カ月(2026年6月まで)の化粧品の実質消費は前年比+4.4%と、総消費(+2.5%)より強い——いま報道されている「美容が強い」自体は公式統計でも事実です。ただし歴史が教えているのはその次で、実際に景気後退が来た回では、化粧品は1973年以降ずっと総消費より深く落ちてきました。いまの強さは景気拡大・インフレ下の現象であって、不況への保険ではありません。
03 · THE UNIVERSE
株の答え合わせ(1) — 母集団は筆者が選ばない
「化粧品株」を筆者の印象で選ぶと、結論はいくらでも動かせます。そこで母集団は分類機関のものをそのまま使います。米国はSECの産業分類 SIC 2844(香水・化粧品・その他トイレタリー)。EDGARに同分類で登録のある131発行体から、SECのティッカー対応表で取引所上場に絞った19銘柄です。日本は化粧品の業種区分が存在しない(東証33業種では「化学」に溶けている)ため、証券コード協議会が化粧品・トイレタリーに割り当てている4911〜4930帯の13銘柄を使います(第9号で創薬ベンチャーを4560番台の帯で切ったのと同じ作法です)。
この決め方には副作用があり、それ自体が示唆的です。SECの分類では歯磨きのコルゲート(CL)が「化粧品」側に入り、P&Gとユニリーバは入りません(両社はSIC 2840=石鹸・洗剤)。日本の帯には資生堂・コーセー・ポーラのほか、ライオン(4912)や香料原料の高砂香料工業(4914)が入り、花王は4452(油脂帯)なので入りません。「美容関連」の輪郭は、分類する側から見てもこのくらい曖昧だということです。
もうひとつ先に言うべきことがあります。この母集団は現存する上場企業だけです。米国の口紅の代名詞だったレブロンは2022年に連邦破産法11条を申請して上場廃止、エイボンは2020年に買収されて消えました。日本でもファンケルは2024年にキリンの完全子会社になり、マンダムはMBOで市場から退出しています。つまり以下の成績は「生き残った銘柄だけ」の数字で、実際はこれより悪い方向に寄ります。
04 · THE CRASH TEST
株の答え合わせ(2) — 下げ相場を守ったのは7回中1回
「不況でも売れる」が株価の防御力に変換されるなら、市場の下落局面で化粧品株は浅く済むはずです。S&P500(SPY・分配金再投資込み)が終値ベースで直近高値から15%超下げた局面を機械的に拾うと、1998年以降に7回あります。各回の高値日→底日で、化粧品バスケット(等金額)と生活必需品セクターETF(XLP)を並べます。
| 局面(高値日→底日) | S&P500 (SPY) | 生活必需品 (XLP) | 化粧品バスケット (等金額・n) | 同・中央値 |
| 1998年 ロシア危機(98-07→98-08) | ▲19.0% | — | ▲21.4%(5) | ▲24.2% |
| ドットコム崩壊(00-03→02-10) | ▲47.5% | +1.2% | ▲29.5%(5) | ▲29.0% |
| 金融危機(07-10→09-03) | ▲55.2% | ▲28.5% | ▲56.1%(6) | ▲60.2% |
| 2018年末の急落(18-09→18-12) | ▲19.4% | ▲10.5% | ▲21.7%(9) | ▲15.1% |
| コロナ急落(20-02→20-03) | ▲33.7% | ▲24.2% | ▲37.1%(9) | ▲37.0% |
| インフレ相場(22-01→22-10) | ▲24.5% | ▲10.6% | ▲29.1%(12) | ▲24.5% |
| 関税ショック(25-02→25-04) | ▲18.8% | ▲5.9% | ▲20.4%(16) | ▲19.0% |
※当サイト実測。Yahoo Financeの調整後終値(配当再投資込み)による等金額・買い持ち。nは各局面の高値日時点で上場60営業日以上の銘柄数。XLPの設定は1998年12月のため1998年の局面は算出不能。
化粧品バスケットが市場より浅かったのは7回中1回——ドットコム崩壊だけです。しかもこの回は、ハイテクに資金が集中した反動で「ハイテク以外の全部」が相対的に守られた局面で、生活必需品(XLP)は+1.2%とプラスでした。それ以外の6回は、化粧品は市場と同じかそれより深く沈んでいます。インフレで「口紅効果」が再び語られた2022年の下げ相場でも▲29.1%対S&P500▲24.5%。一方のXLPは7回中6回で市場より浅い。「必需品は守る」は実測でも成り立ちますが、その中で化粧品を選ぶ理由は見当たりません。
日本は「守れた」回がある。ただし正体はβ0.56
日本側(TOPIX連動の1305が15%超下げた局面・データは2008年1月以降)は様子が違います。
| 局面(高値日→底日) | TOPIX (1305) | 化粧品バスケット (等金額・n) | 同・中央値 |
| 金融危機〜欧州債務危機(08-06→12-07) | ▲51.7% | ▲1.7%(10) | ▲0.5% |
| チャイナショック(15-08→16-02) | ▲28.5% | ▲13.1%(13) | ▲11.5% |
| 米中摩擦〜コロナ(18-01→20-03) | ▲32.7% | ▲33.3%(13) | ▲39.9% |
| 2021-22年の調整(21-09→22-03) | ▲16.2% | ▲21.3%(13) | ▲15.7% |
| 2024年8月の急落(24-07→24-08) | ▲23.6% | ▲11.3%(13) | ▲8.6% |
※当サイト実測。算出条件は同上。ベンチマークはTOPIX連動ETFの1305(iFreeETF TOPIX)。より一般的な1306は2026年3月30日に、1348は2024年8月5日に、それぞれ実際のTOPIXの動きと合わない単日変動(▲90.2%・▲18.0%)があるため採用していません。記事で使う10年窓での3本の累計は+276.0%・+276.7%・+275.9%とほぼ一致します。1305のデータ系列は2008年1月開始のため、2008年1〜3月の下落はベンチ比較が定義できず除外しています。
5回中3回で市場より浅く、特に金融危機では市場が半分になる間に等金額でほぼ横ばいという目を引く数字が出ます。ただし中身を見ると、守ったのは資生堂ではありません(同区間の資生堂は▲47.9%と市場並み)。コタ+33.1%・ミルボン+41.7%など、内需の小型トイレタリー・理美容品メーカーが持ちこたえた結果です。そしてこの群の市場感応度(β)は10年の日次で0.56——TOPIXが1%動く日に0.56%しか動かない体質で、急落局面で浅く済むのはβの機械的な帰結です(第11号・第14号と同じ型)。肝心の「化粧品の看板銘柄」が沈んだ2018年以降の2回は、βが低いにもかかわらず市場より深く沈んでいます。
05 · THE TEN-YEAR SCORECARD
株の答え合わせ(3) — 10年持つとTOPIXに0勝13敗
下げ相場だけ切り取れば「浅く済む回もある」が答えでした。では10年持つとどうなるか。2016年7月29日→2026年7月30日の10年・配当再投資込みです。
| 日本(4911-4930帯) | 10年 | 米国(SIC 2844) | 10年 |
| 高砂香料工業(4914) | +211.0% | Inter Parfums(IPAR) | +368.5% |
| コタ(4923) | +183.7% | コルゲート(CL) | +55.8% |
| ノエビアHD(4928) | +133.0% | エスティローダー(EL) | +3.9% |
| ミルボン(4919) | +57.2% | Solesence(SLSN) | +3.8% |
| ライオン(4912) | +28.9% | United-Guardian(UG) | ▲9.9% |
| 資生堂(4911) | +28.2% | エッジウェル(EPC) | ▲64.2% |
| アジュバンHD(4929) | ▲0.3% | コティ(COTY) | ▲88.5% |
| 日本色材(4920) | ▲14.3% | |
| ポーラ・オルビスHD(4927) | ▲23.7% | |
| コーセーHD(4922) | ▲29.0% | |
| シーボン(4926) | ▲32.2% | |
| ハーバー研究所(4925) | ▲39.1% | |
| アイビー化粧品(4918) | ▲88.2% | |
| TOPIX(1305) | +275.9% | S&P500(SPY)/XLP | +301.0%/+104.4% |
※当サイト実測。2016-07-29→2026-07-30・配当再投資込み。米国は10年前に上場していた7銘柄(e.l.f.は2016年9月上場のため10年窓に入らず。以下同様に上場が新しい銘柄は含まれません)。
日本は13銘柄中プラスが6・TOPIX超えは0。中央値は▲0.3%で、TOPIXの+275.9%に対して0勝13敗です。米国も7銘柄中S&P500超えは1(IPAR)で、バスケット平均+38.5%・中央値+3.8%はS&P500の+301.0%はおろかXLPの+104.4%にも遠く及びません。なおこの帯は、2012年11月〜2015年8月の「爆買い」相場ではコーセー+719.7%・資生堂+220.1%(同期間のTOPIXは+145.4%)と市場の主役だった側です。10年窓はその宴の後から始まっており、上がるときはインバウンドで上がり、沈むときもインバウンドで沈んだ——どちらも口紅効果とは別の力学でした。
日本の化粧品株13銘柄は、10年でTOPIXに0勝13敗。中央値は▲0.3%だった。
勝者の顔ぶれには共通点があります。日本の1位は化粧品ブランドではなく香料原料の高砂香料、米国の1位は香水ライセンスのInter Parfums。2位以下もコタ・ミルボン(理美容室向け)・ノエビア(訪販)と、インバウンドと中国市場に依存しなかったニッチばかりです。逆に「口紅効果」の主役であるはずのブランド化粧品——資生堂・コーセー・ポーラ・コティ・エスティローダー——が軒並み下位に沈みました。この10年の化粧品株の明暗を分けたのは景気でも口紅でもなく、中国とインバウンドへの依存度でした。
06 · THE FOUNDER'S PARADOX
家元の逆説 — エスティローダー、56倍からの▲85.8%
口紅指数の家元、エスティローダー(EL)の株価そのものを見ます。もし「不況でも口紅」が同社の株の防御力に表れるなら、それが通説の最後の砦です。米国の下げ相場7回でのELの成績を並べます。
| 局面 | EL | S&P500 | 差 |
| 1998年 ロシア危機 | ▲13.2% | ▲19.0% | +5.9pt |
| ドットコム崩壊(00-02) | ▲45.2% | ▲47.5% | +2.3pt |
| 金融危機(07-09) | ▲52.5% | ▲55.2% | +2.7pt |
| 2018年末の急落 | ▲13.9% | ▲19.4% | +5.5pt |
| コロナ急落(2020) | ▲32.1% | ▲33.7% | +1.6pt |
| インフレ相場(22-01→22-10) | ▲41.5% | ▲24.5% | ▲17.0pt |
| 関税ショック(25-02→25-04) | ▲29.5% | ▲18.8% | ▲10.8pt |
※当サイト実測。各局面はS&P500の高値日→底日。配当再投資込み。
興味深いのは、エスティローダー株が2020年までの5回の下げ相場では毎回、市場より浅く済んでいたことです。差は+1.6〜+5.9ポイントと控えめですが、確かに「守る」側にいました。それが反転したのが2022年——「口紅効果の再来」が語られたまさにそのインフレ局面で、EL株は市場より17ポイント深く沈み、その後も戻らないまま最大▲85.8%(2025年4月)まで下げました。中国市場と免税店チャネル(トラベルリテール)への依存が裏目に出た結果で、防御を破ったのは景気ではなく事業構造でした。
長期で見るとこの銘柄の弧はさらに残酷です。1995年11月のIPOから2022年1月の最高値まで26年で55.9倍(年率+16.6%)——同じ期間のS&P500(年率+10.2%)を大きく上回る、生活必需品セクター屈指の複利マシンでした。それが直近の崩落で、上場来の年率は+8.9%まで低下し、S&P500(+10.4%)を下回りました。30年持ち続けてもなお指数に負ける——「良い会社を握って離すな」の教科書に載っていた銘柄の現在地です。ちなみに直近10年の日次で測ったELのβは1.12。口紅指数の家元は、いまや市場より荒い値動きの株です。
30年持ち続けてもなお指数に負ける——「良い会社を握って離すな」の教科書に載っていた銘柄の現在地。
07 · WHERE WE STAND NOW
2026年のいま — 「プチぜいたく」相場の読み方
最後に、この通説が再浮上するきっかけになった2026年7月末の決算週を、一次資料で確かめます。ユニリーバは7月28日に上半期決算を発表し、NYSE上場のADRはザラ場で前日終値比+9.9%(終値+9.0%)と急伸。P&Gは翌29日の決算後にザラ場▲5.8%(終値▲1.9%)、30日も▲1.5%と沈みました。2025年初からの株価はユニリーバ+7.6%に対しP&G▲9.9%——明暗はこの1年半の現象です。
決算の中身(各社の開示原文)はどうか。ユニリーバの4〜6月期は実質売上高成長率+5.8%(うち数量+5.5%)で、CEOフェルナンド・フェルナンデスは「10年超で最高の数量成長の四半期」「北米は再び市場を上回った」と述べています。事業構成は美容・ウェルビーイング+パーソナルケアが上半期売上の52.0%。食品事業(クノール、ヘルマン等)は2026年3月31日にマコーミックとの統合契約を結んでおり(ユニリーバは現金157億ドルを受け取り統合会社の約65%を保有、完了は2027年央まで)、完了すれば継続事業に占める美容系の比率は約69%に上がります。
一方のP&Gは4〜6月期の純利益が前年同期比▲15.0%、グルーミングとベビー・ファミリーケアの数量が各▲1%(最大の減少はヘルスケアの▲3%)。美容(ビューティー)セグメントの売上は通期160億ドルで全社の18.4%=2割弱です。ただしここで見落とされがちな事実がひとつ——そのビューティーは4〜6月期オーガニック+4%・数量+3%で、P&G社内では最も強いセグメントでした。「美容比率の低いP&Gが沈んだ」というより、両社の決算はどちらも「美容だけが強い」で一致しており、差は美容以外をどれだけ抱えているかにあります。
マクロも整合的です。PCE物価指数は4〜6月期に前期比年率+5.1%(1〜3月期+4.6%)と2022年4〜6月期以来の伸びで、インフレの再加速が意識されています(ただし6月単月は前月比▲0.1%と鎮静も同居)。そして前段の通り、直近12カ月の化粧品の実質消費は+4.4%と総消費(+2.5%)より強い。「インフレ下で美容が相対的に強い」までは、消費の公式統計でも決算でも裏が取れます。
裏が取れないのは、その先の飛躍です。「だから景気が悪化しても美容は安全」——これは戦後7連敗の消費統計と下げ相場7回中6回敗の株価が否定します。「だから化粧品株を買えば守られる」——これは10年0勝13敗と家元自身の▲85.8%が否定します。この10年の化粧品株の成否を決めたのは口紅の売れ行きではなく、中国・インバウンド・チャネル構造でした。「美容が強い」という観測と、「美容株が守ってくれる」という期待のあいだには、それだけの距離があります。
留意点
- 本記事は過去の値動きと公的統計の集計であり、特定の銘柄・商品・売買タイミングを推奨するものではありません。過去の実績は将来の成果を保証しません。
- 母集団は現存する上場企業のみです。レブロン(2022年Chapter 11)・エイボン(2020年買収)・ファンケル(2024年完全子会社化)・マンダム(MBO)など、期間中に消えた銘柄は含まれず、破綻・退出が抜ける分、実際の成績は本記事の数値より悪い方向に寄ります。
- 米国の母集団はSECの「現在の」分類を過去に当てています。たとえばSolesence(SLSN)が2000年代前半に化粧品会社だったわけではなく(当時はナノ素材企業)、過去の局面の構成には現在の分類による遡及が含まれます。
- 等金額バスケットは小さい銘柄も大きい銘柄も同じ重みで数えます。時価総額加重では資生堂・エスティローダーなど大型の寄与が支配的になり、結果は変わりえます。平均と中央値を併記しているのはこのためです。
- βによる「機械的な帰結」の説明は因果の証明ではありません。βは推定期間の取り方で変わり、t値等の統計的検定は本記事では行っていません。
- 消費側のBEA品目別系列「化粧品・香水・バス・ネイル用品」は口紅単品ではありません(口紅単品の政府統計は存在しません)。「実質」はBEAの連鎖型数量指数、月次系列は季節調整済みです。PCE統計は包括改定で過去に遡って改定されるため、大恐慌期を含む全数値は現行ビンテージの値です。1929〜33年は品目別詳細が無く、上位集計の「パーソナルケア製品」で代用しています。
- 業界データ(NPD/Circana・NielsenIQ・Kline)は調査会社の推計で、対象範囲が異なります(プレステージ=百貨店系高価格帯、NielsenIQ=量販中心)。「2008年の口紅5.8%減」は当時の報道経由の数字で、元データは未確認です。
- 世界の化粧品大手の多く——売上1位のロレアル(パリ上場)、シャネル(非上場)、LVMH、バイヤスドルフ等——は本記事の母集団(米SEC登録+東証)に入りません。母集団は制度の輪郭で機械的に切ったもので、世界の業界全体を代表するものではありません。
- 他資料と数値が異なる場合、起点・終点・配当の扱い・算出方法の違いによります。本記事はYahoo Financeの調整後終値(配当再投資込み)・等金額・買い持ちで統一しています。
FAQ
Q. 口紅効果(リップスティック効果)とは何ですか?
景気が悪くなると、高価な買い物の代わりに口紅のような「単価の低い贅沢品」の売上が伸びるとされる考え方です。言葉自体は2001年の米景気後退期に、エスティローダーのレナード・ローダー会長(当時)が自社の口紅売上の伸びから作ったもので、2001年11月26日のウォール・ストリート・ジャーナル記事が初期の代表的な報道です。よく引かれる「2001年秋に米国の口紅売上が11%増えた」という数字はエスティローダー側の主張が原点で、独立に検証された統計ではありません。「1929年からの大恐慌でも化粧品が売れた」という話も広く流通していますが、代表的な出典(The Economist 2009年1月22日)自体が出所を示しておらず、米国の公式統計(BEA・個人消費支出)ではパーソナルケア製品の消費は1929年から1933年に名目▲45.1%・実質▲40.3%と、総消費(名目▲40.6%)より深く落ちています。
Q. 不況になると本当に化粧品の売上は増えるのですか?
米国の公式統計では、ほとんどの景気後退で増えていません。BEAのPCE品目別系列(化粧品・香水・バス・ネイル用品、1959年〜)で戦後9回の景気後退(NBERの山→谷)を測ると、化粧品の実質消費がプラスだったのは3回、総消費より持ちこたえたのは1960〜61年と1969〜70年の2回だけです。1973年以降の7回はすべて総消費より弱く、金融危機では▲7.8%(総消費▲2.2%)、コロナ急落では▲19.5%(同▲16.8%)でした。言葉が生まれた2001年の景気後退ですら化粧品+1.7%対総消費+2.1%で負けています。業界データでも2008年の米国の口紅売上は前年比5.8%減と報じられ、2020年はマスクで米プレステージ市場のメイクアップが▲34%と崩れました。一方、直近12カ月(2026年6月まで)は化粧品の実質消費が前年比+4.4%と総消費(+2.5%)より強く、「いま美容が強い」こと自体は事実です。
Q. 化粧品・美容株に投資するETFや投資信託はありますか?
米国上場の「美容・化粧品特化ETF」は2026年7月時点で存在しません(過去に上場していた記録も今回の調査では確認できませんでした)。初の試みとして、韓国コスメに投資する「K-Beauty ETF」(ティッカーKBTY)が2026年7月10日にSECへ届出され、上場すれば米国初の特化ETFになる見込みです。日本にも東証上場の特化ETFは無く、公募投信では「ワールド・ビューティー・オープン」(三菱UFJアセットマネジメント・2017年7月設定・実質信託報酬1.804%・純資産約129億円=2026年7月30日時点)が美容関連株に投資する数少ない選択肢です。韓国には「TIGER化粧品ETF」(2015年設定)があります。本記事はいずれも存在の記録として挙げるもので、推奨ではありません。
Q. 化粧品株はディフェンシブ(下げ相場に強い)ですか?
当サイトの実測では、そうは言えませんでした。S&P500が終値ベースで15%超下落した1998年以降の7回の局面で、米国の化粧品株バスケット(SECのSIC 2844分類・等金額)の下落が市場より浅かったのは2000〜02年のドットコム崩壊の1回だけです。同じ7回のうち6回で市場より浅かったのは生活必需品セクターETF(XLP)で、「必需品は守る」は成り立っても「化粧品は守る」は成り立ちません。日本は比較できた5回中3回で化粧品バスケット(証券コード4911〜4930帯・13銘柄)がTOPIXより浅く済みましたが、これは市場感応度(β)が0.56と低いことの機械的な帰結で、市場が動かない日には優位が残りません。しかも10年保有ではその13銘柄が全てTOPIXに負けています(0勝13敗)。
本記事は公開市場データ(Yahoo Finance・SEC EDGAR・JPX・BEA・FRED)および学術文献を基に、当サイトが計算条件を明示した上で集計・整理した一般的な情報提供を目的としており、特定の銘柄・商品・売買タイミングの採用を推奨・勧誘するものではありません。過去の実績は将来の成果を保証しません。投資に関する最終判断はご自身の責任で行ってください。
出典:BEA(NIPA・Underlying Detail・GDP速報/個人所得支出)、NBER景気循環日付、SEC EDGAR(SIC 2844、Unilever/McCormick/P&G開示)、JPX東証上場銘柄一覧、Yahoo Finance(調整後終値)、The Economist (2009)、NPR (2009)、NPD/Circana・NielsenIQ、経済産業省・日本化粧品工業会、The Estée Lauder Companies、資生堂IR、Hill et al. (2012) JPSP 103(2)、Netchaeva & Rees (2016) Psychological Science 27(8)。市場データは2026年7月30日終値・消費統計は2026年6月分まで(実測・集計は当サイト算出、2026年7月31日時点・編集部構成)。